同人ゲーム製作の心理学 第11回

■■完成しない心理 その4 禁止令を解こう■■

前章を読んでゲームの完成しない原因に、自分の中の禁止令があると思った方は、
そこから自由になる事が一番です。

子供の頃に得た生存術が今でも通用するとは限りません。

禁止令は今では通用しないという現実を無視して、無理に使っている場合がほとんどなんですが、
禁止令を発動させている本人には、無理をしている感覚がありません。
むしろ禁止令から自由になるほうが負担になります。

日本人は、おにぎりなら手づかみで食べられますが、茶碗に入ったご飯は手づかみで食べられません。
これは日本の風習で自分自身の価値観ではありません。しかし、もの凄い抵抗感が生まれますね。
抵抗感というよりも「拘束力」と言えるレベルでしょう。

「自由になるのが一番」
と書いておいてひっくり返すようですが、自由になるのはそのくらい難しいものです。
難しい事ですから、すぐにできなくても落ち込む必要はありません。

ただし、
「いつか、度胸がついたら……」
と先送りにしない事を決めましょう。

「自由になる事に挑戦→できなくても落ち込ない→すぐに再挑戦→できなくても落ち込まない」
というループが理想です。
それを続けているうちに、「ふっ」と、自然体で出来てしまうのが、壁の越え方です。

−−−

禁止令は親の影響下にあると冒頭でさんざん書きました。
自分を責める必要が無い事はもちろんです。 しかし、親を責める事も禁止令から自由になるどころか、いっそう自分を縛る事になります。

自分の心の中には怯えている子供時代の自分います。
そして、私達の親の中にも自分と同じように、怯える子供がいるんです。
親の親の親の親の親の親の、そのまた親も禁止令を持っていました。
誰もが禁止令の力で生き残ろうとしたサバイバリストなんです。

また、親の嫉妬を感じても、必ずしも全ての子供が「成功してはいけない」と思うわけではありません。
禁止令は親から一方的に与えられるものではなく、子供の中で作り出されるものです。
たまたま、その時、その子が、そのように解釈したという運命のいたずらの結果、生まれるものなんです。
ですから、親にも子供にも責任はありません。

禁止令の発生は「自分を責める、他人を責める」事と無縁の出来事という事を忘れないで下さい。

−−−

話をゲーム製作に持って行きましょう。
「ゲームを完成させると、何かを失う」
と思っている人も沢山います。

たしかに、ゲームを出せば自分の中で納得できなかったとか評価が低かったとか、
自尊心が傷つく事は沢山あるでしょう。

でも、自尊心が傷ついても何も失いません。

腕にすり傷がついた事で「腕を失った」と思う人はいないでしょう。
傷ついた自尊心は失ったものとしてカウントする必要はありません。

ゲームを完成させて失うものは「たった今完成したゲームを、今後も作り続ける時間と労力」だけなんです。

「成功するな」の禁止令を破ってゲームを完成させた人は、達成感と共に、
自分自身に課した「オキテ」を破った罪悪感にさいなまされているかもしれません。
罪悪感を感じているのは子供時代の自分です。
心の中にいる子供時代の自分に対して「もう大丈夫だよ。よくやったね」と安心させる事が、
ゲームを完成させた人の最後の仕事だと僕は思っています。


次回は、グループでのゲーム作りで発生しがちな「心理ゲーム」についてご説明します。


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